コーラルをリリース

コーラルをリリースした。すごいことが起きた。
二周してそれぞれの結末を見届けたあとにこれが見られるのは最高だと思った。最高のアンコール。
なんだよ最後の。バトルホビーアニメか。ロックマンエグゼトランスミッション!とか、そういうやつか。エアちゃんとんでもないこと言ってたからね。「人は戦うための形をしている」ってね、621びっくりしたよ、本当に。このゲームの人たちいつも大事な話はACで戦いながらじゃないとできないから、なんか元々そんなとこあるけどさ。
でも、エアがそう思うのも納得できるっちゃできる話なんだよね。生まれて初めて話をした人間はACに乗って戦う以外に何もできなくて、陣営もなにも関係なくひたすら戦ってばかり。でも、夢中で戦っているうちにあちらこちらから信頼を勝ち得ていく。
ルビコンのどこを見ても人と人はずっと戦っている。試しにあなたの真似事をしてACで戦ってみたら、あなたのことが少しわかったような気がした。そこでエアちゃんは気づくわけだ。
ACは戦うためのものである。ACは人の形を模している。だから、人の形は戦うためのものである。人と人が戦うのは、人が戦うための形をしているからである。だってレイヴンはずっと戦っていたから。
人とコーラルの生きるこの宇宙で、私たちはずっと戦い続ける。戦いの中であなたと出会い、あなたの戦いをずっとそばで見ていて、ACを通して戦うことで私はあなたを知ることができた。ならば新しい宇宙とは。私たちが望む宇宙とは。
とまあこんな感じだろう。きっとエアの中には、ACを通して戦うことで全ての命がわかりあう未来があるに違いない。メインシステム、戦闘モード起動!

ところで、コーラルリリースを目指すなかで、ウォルターともカーラともプレイヤーは戦わない(オールマインドが勝手に戦う)のも意味があると思っている。ACどうしが戦うのは人と人とが争うためであって、てんで埒外の方向に何もかも捨てて走り始めた者を止めるためではない。止めるとしたら、それは戦いではない。一方的な阻止の試みだ。
だから、あのしょっぱいレーザーを避けてチャティとボタン早押し対決をするだけのつまらないイベントで決着がついてしまう。あのイベントには違和感があった。始終面白いゲームの中であれだけ明らかにつまらなかった。それだけ、カーラにとってもウォルターにとっても理解し難い選択だったのだろう。それこそ、「戦う理由なんて見つからない」ほどに。
そもそものコーラルリリース自体がオールマインドの孤独な試みだ。行為自体の意味がよくわからない。計画達成までの条件も途方もない。それゆえ、協力者はどこか地に足ついていないような奴ばっかりだ。結局ついてくるのはオキーフみたいな浮世嫌いか、イグアスみたいなやけっぱちしかいない。そもそも協力者などろくに得られないからフラついてる独立傭兵に片っ端から接触するしかなかったのかもしれない。それを思えば、オールマインドの計画がガタガタ崩れてあんなライブ感あふれる感じになっちゃったのも仕方ない。途中まで「リリース計画の脅威」とか評してたのにしれっと協力依頼してくるのはすごい。
ちょっと思ったけど、オールマインドは技研の作ったものなんじゃないか。コーラルリリースを夢見た科学者が、いつか自分がいなくなったとしてもそれを成し遂げてくれるような人工知能をルビコンに置いていったのかもしれない。そしてそいつは自ら試行錯誤して、傭兵支援システムを名乗るようになり……みたいな。コーラルリリースのことを「人類と生命の可能性」とか言っちゃう輩は技研の連中以外にいないと思うんだよな。

AC6、良いゲームだ。つぎはアリーナ機体で遊ぼうかな……。