スプラトゥーンのエモの部分

 スプラトゥーンについてこんなことを言うのもあまり聞かないけど、多感な時期にあのゲームで遊んだ、遊び倒したのはよかったなと思う。
 作中のイカはスカした若者という設定があって、街は箱庭っぽい作りで、閉じこもっている。閉じこもった中にストリートがある。ストリート的な空気をコンパクトにギュッとまとめた空間がこのハイカラシティでありスクエアだった(僕が初めて遊んだのは『2』なので、スクエアが僕の初体験である)。
 ゲーム全体にプレイヤーの分身としてのイカがあって、主人公、一人称。マイキャラとしての存在感がある。
 そこに好みのギアを着せて遊ぶ。ブキのこだわりを押し付ける。当然対戦ゲームなので、装備性能へのこだわりが生まれる。そのこだわりはそのまま、現実世界の服や持ち物へのこだわりにつながるわけだ。見てくれを気にしたり、気にしなかったり、これは機能だと嘯いてみたりするところ。そこがリアルだと感じる。ホントのところは見てくれも機能も、こだわりが絡めば同じようなものだ。どちらも実利ではなく、ただのこだわりにすぎない。特に昔の僕はそうだったと思う。

 街があって、音楽がある。スプラトゥーンの大事なところの一つだと思う。ぼくは大して音楽ファンというわけでもないが、高校生の頃むやみにタワーレコードに憧れて、そこを漠然といい場所だと思って、通ったりしていた。たまになんらかのアルバムを買って帰る。いわゆるジャケ買い、をしたことがないわけではない。でも、そのくらい。
 スプラトゥーンにはそのタワレコへの憧れと同じものがあって、要は、Jロック・オルタナ的なところ。BGMがそのへんのツボをかなり抑えており(タワレコとコラボもしたし)、スカした感じの十代がそういう店に入り浸る。
 僕はずっとそうなりたかった。スカした感じで、タワレコに通いたかった。そうなりたかったがそうならなかった自分を、画面のイカに見ている。

 たしか『スプラトゥーン』無印のタイトル画面は壁にポスターが貼ってあるようなマイルーム的な画面だったが、ゲーム本編にいっこうにマイルーム的な要素は出てこない。あっても良いのにと思うが、僕はない方が良いと思う。ようは、自分の部屋があると生活感が出てしまう。 スプラトゥーンのマイキャラにあんまり生活感は見えてほしくない。なぜなら、十代の頃に思い描いた「そうなりたかった自分」には、生活感は一切含まれていないからだ。自分の家とか、学校とか、そういうものは含まれない。ストリート、タワレコ。なりたかったもののなりたい部分だけを抽出した分身として、僕はイカを見ている。

 そういう見方をしているから、僕はスプラトゥーンからエモを抜いては語ることができない。純粋な対戦ゲームプラットフォームとしてスプラトゥーンを見ているわけではないのだ。